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日本人の食生活の変遷を歴史から振り返る 〜縄文時代、弥生時代〜

日本人の食生活の変遷を歴史から振り返る 〜縄文時代、弥生時代〜

日本人の食生活の変遷を歴史から振り返る  〜縄文、弥生時代編〜

 

古来から日本人は、どんな野菜を食べてきたのでしょうか?

 

普段から馴染みのある野菜と言えば、

キャベツ

白菜

人参

じゃがいも

 

などなど沢山ありますよね。

 

そんな野菜たちは昔から当たり前のように食されるようになったのか?

はたまた、そもそも論として日本古来(原産)の野菜ってどんなものがあるんでしょうか?

太古の森に自生していたシダ植物

太古の森に自生していたシダ植物

 

食の歴史を遡るにあたり、日本古来の野菜について少しだけ触れておきましょう。

そして、今私たちがスーパーなどで見かける野菜たちがいつの時代に日本に伝来したのかも合わせて見ていきたいと思います。

今回は手始めに、縄文〜弥生時代とします。 

◆日本原産の野菜

・ ふき(蕗):キク科フキ属の多年草で、少し木が繁っていたり家の庭先に目をやるとどこにでも生えています。初春の出てくる「ふきのとう」を味噌と混ぜたり、葉は佃煮にしたりします。

・ ウド(独活):ウコギ科タラノキ属の多年植物で、山菜として天ぷらとして食されるのが有名です。

・ 山芋(自然薯):ヤマノイモ科ヤマノイモ属の多年草で、すり下ろしたとろろとして食されることが多いです。

・ セリ(芹):セリ科の多年草で、春の七草として有名です。田んぼなどでよく見かけます。

・ ミツバ(三つ葉):セリ科の多年草で、田舎の山間を歩いていると自生しているものを見かけます。和物やお吸い物、丼に用られることが多いですね。

・ ミョウガ(茗荷):ショウガ科ショウガ属の多年草で、薬味として有名なのはご存知の通りですね。英語表記でも「Myoga」と書きます。

・ ワサビ(山葵):アブラナ科ワサビ属の多年草で、こちらも薬味として日本食に無くてはならない存在です。ワサビは生産が難しく、綺麗な水と豊富な水量が必須条件です。

 

他にも日本古来の野菜は存在しますが、ポピュラーなところでいくと先述の野菜が一般的です。

 

 先に、日本古来の野菜を紹介しましたが、お気付きですか?

今、私たちが普通に食べている野菜がほとんど無く、外国人助っ人が日本に居ついてしまっただけなんです。

 

では、今回のトピックである、「日本人がどんな野菜を歴史的に食べてきたのか」と照らし合わせて見ていきましょう。

 

◆縄文時代に食べられた野菜◆

木のみを採取する縄文人

木のみを採取する縄文人

まず、縄文時代の期間ですが、日本の歴史上で最も対象となる期間が長いです。

例えば、平成が30年間だったのに対して、縄文時代は・・・

 

14000年間!(正確性は担保しません)

 

長いな!

 

なので、一括りに縄文時代と言っても生活様式も変わりますが、細かいことは割愛させてもらいます。

 

縄文時代を象徴する生活様式と言えばなんでしょう?

 

そうです。縄文土器や狩猟中心生活ですね。

 

まだ、縄文時代の序盤って、地球が氷河期から脱した時期なので、大型の哺乳類であるヘラジカ、マンモス、ナウマンゾウなんかが跋扈していました。

森の中にいるマンモスのイメージ

森の中にいるマンモスのイメージ

しかし、

 

だんだんと地球が暖かくなるにつれて、植物や木の様子も変化します。

すると今までいたマンモスたちが徐々に個体数が減りついには絶滅します。

 

そうなると知恵を絞るのが人間です。

 

ここが歴史の転換点で、狩猟採集→農耕へと生活様式を変化させていきました。

畑仕事をする女性

畑仕事をする女性

 

資料からは、縄文時代後期には稲作の原型が既に始められていたそうです。

しかし、稲作自体が飛躍的に進歩するのは次に紹介する弥生時代なので、

結論として、縄文時代のメインで食べられていた動物性タンパク質以外のものとなると、

採集した、木の実または、植林した栗や小豆、エゴマ、ヒョウタンなどとなっており、現代でよく見かける野菜たちはまだ存在していないようですね。

秋の味覚の一つである栗

秋の味覚の一つである栗

 

【縄文時代まとめ】

・狩猟や採集(木の実など)が中心

・後半からは稲作が大陸から伝来

・まだ野菜の伝来はなさそう

 

◆弥生時代に食べられた野菜◆

弥生人

弥生人

弥生時代といえば、邪馬台国が最も認知される言葉でしょうか?

縄文時代に比べて、飛躍的に人々は文化的になります。

何せ、大陸との交流が活発に始まったわけですから。

 

小さな国々が生まれ、稲作(イネ、ヒエ、アワ、キビも含む)がより盛んになっていきます。

穂垂れる稲

穂垂れる稲

 

この時代から、日本人の主食=お米という概念が定着しました。

 

稲作以外の農作物関してはどうか、

 

確認できるのは、果実として、柿、桃、梅なども遺跡の中から種で確認されているので、この弥生時代に伝来したのではないかと言われています。

 

【弥生時代のまとめ】

・狩猟採集から農耕へ

・稲作が盛んになる

・少しずつ果実(柿、桃、梅など)や豆類(小豆、大豆など)が伝来する

・土器を使って調理

 

◆考察◆

縄文、弥生時代の考察としては、まだまだスーパーで並んでいるスタメン級の野菜たちは登場しない印象です。

いくら稲作が盛んになったとはいえ、野菜果実に関しては

まだまだ山などで自生しているものを採取して食卓に並べていたようですね。

果たして、いつの時代から「ザ・日本食」の原型が現れるのでしょうか?

次回は、飛鳥〜奈良時代をトピックしていきます。

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